自己肯定感を高める為に海外に行ってみるのもアリだと思っています。
20代前半、海外に行く前の私はこんな状態でした。
- 自分に自信が持てない
- 周りと比べて落ち込んでしまう
- 嫌われたくなくて本音が言えない
- 頼まれたら断れない
一言で言うと、自己肯定感が圧倒的に低かった。
今となってはこんな感じ
- 私は私、あの人はあの人と思える
- 嫌われても仕方がない、皆から好かれる必要はない
- 出来ない事があってもいい、得意な事を伸ばそう
- 好きな事をやってもいい
今日は自己肯定感と海外暮らしについての記事です。
なぜ自己肯定感が低くなってしまったのか
そもそも、なぜ自己肯定感が低くなってしまったのでしょうか。
ご近所みな家族のような小さな町で生まれ育った私は、常に世間体・他人の目を気にする両親に育てられました。
自分にダメ印を付けた過去
私の場合、子供の頃「字」がとても下手だったのです。
小学校の先生がノートに順位を付け、私はクラスで最下位になりました。
その後、両親の勧めで書道教室に通うようになり、コンクールで大きな賞を取ったりするようになったのですが、例え先生や友達にどんなに褒められても自信が持てませんでした。
ノートに最下位を付けられた経験がそれほどトラウマになり、自己否定を強めていたのです。
愛情表現が少ない日本人
私の家族は愛情表現が乏しい家族でした。
書道をどんなに頑張っても褒められた事はありません。
そんな私がホームステイをして一番驚いた事は、ホストファミリーの愛情表現です。
外国人は褒めじょうず
褒め上手でスキンシップの多いホストファミリーと暮らしたことで私の凍りついた心が段々と溶けていき、ほんわか温かくなりました。
初対面のホストマザーにぎゅっと抱きしめられ、ささいな事でも”Thank you!”と抱きしめられる。
真っ黒でストレートなヘアスタイルを素敵と褒められ、
5ドルで買ったブラウスでさえ、似合っていると褒められる。
何か特別な事をしなくても、結果を出さなくても、ただありのままの自分でそこにいるだけで認められる、愛される。
そんな経験をさせてもらえたホームステイでした。
多様性を受け入れる社会
私が初めて暮らした海外はカナダのバンクーバーです。
バンクーバーには様々な国籍の人が暮らしています。
違っているのが当たり前。みんなと同じにするなんて無理で、そもそもそんな必要もない。
自分の好きなモノを自信を持って表現する
海外で出会った人達は自分らしさを大切にしていました。
私はコレが好きだけど、あなたはドレが好き? こんな感じです。
ファッションでもメイクでも自分らしさを自信を持って表現していました。
一方で日本人は皆、同じような服装、同じような髪型、それがとても奇妙に映りました。
バンクーバーで暮らしていて日本人だってすぐにわかるんです。
服装や髪型がみんな一緒。
空気を読むって日本独自の考え?
日本では「空気を読む」ことが美徳とされていますよね。
もちろん、それは素晴らしい事だし、相手を思いやる気持ちは大切です。
「空気を読む」って英語に訳せない位ですから、外国人は空気が読めないと思いますよね。
でもそうではないんです。
外国人が空気を読めないのではない
確かに、日本で言うところの「空気を読む」という概念はあまりに日本的で海外では理解されずらいところがあります。
でもだからと言って外国人が空気を読まずに好き勝手言ってその場の雰囲気を悪くするとか人を傷つけるという事では無いんです。
何が違うかというと、、
自分は自分
相手は相手
自分も相手も認めるという形で「空気を読んでいる」のです。
自分の意見を言ってもいいんだという気づき
海外では「私はコレがいいけど、あなたはどお?」と聞かれる事が多いです。
・あなたはどうしたい?
・あなたはどう思う?
そんな風に意見を求められる事がとても多いです。
自然と、
・私はどうしたいかな?
・私はどう思うかな?
そう考える事が増えていきます。
自己主張を求められる社会に身を置く事で、自己主張してもいいんだと自分に許可を出せました。
むしろ、自分の意見を持つことが必要だったのです。
まとめ
自己肯定感が低くて、日本の社会で生きずらさを感じているのなら、海外で暮らしてみるというのも一つの手です。
日本の常識が海外の非常識だったり、その逆もあります。
良い意味で固定観念が外れ、心が軽くなりました。